病院のユリイカ1

【拷問の如く】

 

 2005年1月17日、私は国立総合病院に入院した。

 いくつかの検査を終え、診察ブースに入る。外来の医師Kは、呼吸器科の要職にあり、目が忙しそうにシャープに動く、頭の回転のよさそうな人物であった。
 最初、なかなか私の症状の総体がつかみづらそうに問診していたが、酸素量を計測する機械を私の指に挟んで数値を読みとると、血相を変えた。健康人の数値は、98か100くらいらしいが、私の数値は、70を切っていたのだと思う。この瞬間、私の入院が決定した。
 他のブースの医者は、看護師(今は看護婦のことをこう呼ぶらしい)に、何かと言いつけている様子なのに、Kは直接病棟に電話し、空き部屋を確認している。最初は『鋭い』という印象しかなかったが、その鋭さは冷たさと結びついていない。その後、何度か接触するにつれ、鋭さの奥に、Kの人間的な思い遣りが見えてきて、好感を持った。
 案内された病棟では、昼食時であった。隣の男が凄まじいいびきをかいて寝ている。カーテンで姿は見えないが、音だけは聞こえてくる。隣の男は看護婦に起こされて、食事を取り、「昼寝ると夜眠れなくなるから起きていてください」と注意される。しかし、食事をとり終える気配がしたと思ったら、まもなく、再びすさまじいいびきが聞こえてきた。さすが呼吸器科である。迫力のある患者がいる。
 私は妻と病院内のレストランで昼食を取ろうか、と今思えば呑気に考えていたが、私の分の食事も来た。エビフライとあとはおひたしのようなものだったと思う。食事は悪くない、と思った。病院食もずいぶん人間的な食い物になった。食べている途中で先ほどとは違う若い医師が来て、「あ、食事はとらないほうがいいのだけれど……」というので、慌てて「では、これが最後ということで……」と主張したら通った。
それがたしかに最後の食事となった。それから3週間、何も喰わない生活が始まったのだ。

 身体にいろいろな計器をつけられ、大便がしたいといったら、ナースが堅い椅子型のおまるを持ってきた。明るい病棟では、全然落ち着かないので、ねばっても出ない。
 それからのことはよく覚えていない。沈静剤か何か打たれたのか、眠ってしまったらしい。
息苦しくて目が醒めたら、ベッドの回りを5.6人の医師が取り囲んで、私を上から覗き込み、喉の中に何かをぐいぐいと突っ込もうとしている。「いきなり何をするのだ」と抗議したいが、入れられたものが邪魔で声が出ない。何をしているのか説明してほしいのだが、質問することもできない。手で意思表示をしようとしたら、動かないようにきっちりと拘束された。窒息しそうな恐怖を感じているのに、まるでこちらの意向や苦痛や不安に答えようとする者もいない。医師たちは冷徹に「作業」に集中していた。それは恐ろしい時間であった。麻酔か何か使ったのか、朦朧として一度意識を失うが、目が醒めるとまだ悪夢は続いている。まるで拷問のような時間であった。
 後になってわかったことだが、このときは、気道から肺に直接酸素を送り込むための管を通していたらしい。私の場合、気道が狭くて通しにくいらしい。内視鏡まで使って、医師も多数動員し、通常30分で終わるところが、1時ヤもかかったという。医師達の冷徹さはそのような事態の緊張に由来していたのだろう。
 妻がいうには、この処置に私も朦朧とした状態で同意するサインをしたらしい。それは、全く記憶にない。
 こうして、私の、食べることも、飲むことも、話すこともできない日々が始まった。