大野一雄・隅田川乱一の本

舞踏関係のインタビューを頼まれていて、土方巽関係の写真集に目を通す。
あまりに時代精神に流されて、煮詰まっていた自分に気づき、やや光明を見出す。
勢いづいて、大野一雄「稽古の言葉」フィルムアート社買う。
稽古場での言葉の録音を起こしたものらしい。

「初心であっても未熟であっても私は差し支えありません。しかし私には願いがあります。じっとしていられません。自分の力をある程度知っていれば、その自分の力程度の花の踊りは、一生涯なくならない。自分の力以上に、うまくしようとして溺れるならば、元来持っていた力から生まれる花もなくなってしまう。初心というのは、この時期のことなのだ。若いときは微細にわたって体験しなければならない。それは今でも」

誰が現代において初心で未熟であれるのか?

亡くなった隅田川乱一さんの様々な雑誌に書かれたコラムなどを集めた「穴が開いちゃったりして」石風社もリブロで見つけて買う。町田康の愛情のあふれだしそうな前文に涙しそうになる。
書評など「宝島」クレジットのある原稿は25年ほど前に僕が依頼したものだ。
とくに「80年代を震撼させる!? 神秘学のスーパースターたち」は、僕の神秘主義への入門となった。当時、彼から聞いた話は、今でも思い出深い。