病院のユリイカ3

 目が醒めると、病院の天井が見えた。歯は合成ゴムでできた筒状のものを噛んでいる。その中を通って管が私の肺の中まで伸びている。呼吸器科の病室には、酸素を送り続ける管が配管されており、私はそれとつながっていることによって、二十四時間、酸素を与えられていた。
 胸部には電極がとりつけられ、呼吸数、心拍数、酸素濃度などがモニターに映し出されている。手ではなく脚に点滴の管がつながれている。点滴は栄養剤、利尿剤、抗生物質などである。小便はカテーテルでビニールバッグに流れ込む。
 要するに私にはさまざまな管や線がつながっており、ベッドから起きあがることができない。  私のベッドは処置がしやすいように二人部屋を一人で占領していた。
 たとえば、レントゲンを撮るときも、自分で歩けるようになる前は、レントゲンの大きな機械のほうから私の部屋にやってきた。
 口は筒を噛まされているため、言葉を発することはできない。手元にはつねにナースコールがあり、ナースを呼ぶときは最も短い言葉を考えて、文字盤を指さすことで、意志を伝える。
 このような状況を私はごく一時的なものだと考えていた。唯一最大の関心は、いつこれらのコードや管をはずせるのか、ということだった。一時期、クラプトンや他のミュージシャンの、電気楽器のプラグを抜いて、アコースティックで演奏するという意味の『アンプラグド』というシリーズがあったが、私も早くアンプラグドしてもらいたかった。
 プラグドな状態で寝ているのは、肉体的にはあまり不快ではなかった。口がつねに筒を噛まされていることなど、苛立てば耐えられなくなりそうだが、当面必要な処置として、心をそこに向けないでいることはできた。
 また医者に身を委ねたというとりあえずの安心感もあった。私は現代医学というものがはっきりいって嫌いである。なるべくなら、医薬や手術や放射線などとは無縁で生きて行きたいと思っている。そして、オルタナティブな治療法の知識もあり、民間療法的なものから、かなりあやしげなものまで、それなりにさまざまな体験もしているのである。
 いわば、私は医学に対しては異教徒といってもいい。つまり、私の状況は、飢え死にしそうになってキリスト教会でパンにありついたブードゥー教徒のようなものである。パンは有り難く、またおいしくもあり、医師やナースの熱意や親切も身に沁みたが、改宗する気はなかった。もし、医者が納得のいかない措置をしようとしたら、拒否しなければならない、といつも自分の状況を把握し、判断しようとしていた。
 すでに入院せざるを得なくなってしまったことが私の敗北であった。しかし、自分の身体についてのイニシアティブをすべて医者に委ねるほど、素直でもないのだった。
 点滴のせいか何日寝ていても不思議なことに空腹感もなく、食事や酒に想像力を及ばさないでいることもできた。もっともテレビで料理番組やごちそうの出てくる旅番組になると、あわててチャンネルを変えた(そういう番組のなんと多いことか!)。もし、食べ物に欲望を持ったら状況はもっと耐え難くなると予想されたからである。
 しかし、テレビもプラグドな状態では身体を十分に起こすことができないので、斜めに見るしかなく、疲れるし、楽しくなかった。液晶なんだから、斜めでも好きな角度に動かせるテレビを作れば、寝たままテレビを見たいという病人や、不精者にニーズがあるように思える。
 ベッドに縛り付けられていちばん、苛立たしいのは、入ってくる情報の少なさ、自分が発信できる情報の少なさだった。
 退屈なのである。退屈の中に閉じこめられて、想いは内省的になる。
 自分は大人になってから退屈はあまりしないな、と思っていた。
 タルコフスキーという監督の映画を3本立て(!)で見たときには、ひさしぶりに純粋な退屈の感覚を思い出したと思った。それくらい退屈というのは、貴重な感覚なのであるが、病室にはそれが有り余るほどあった。
 つまり、自分のことをあれこれと考え巡らすことができるのである。普通に暮らしていれば、ネットやテレビやビデオや本や雑誌や中吊り広告や会話や看板や人の顔やファッションや流れてくる音楽などあらゆる刺激がそれとなく心や頭を刺激してくるのであるが、ここでは、そのような対象がないのである。街でも家の中でもフラフラと歩き回れる、それだけのことが、気晴らしになる要素を多く含んでいる。
 しかし、病室で寝たきりでは、想いはどうしても自分に返ってくる。それがあまり愉快ではないのである。自分のことなんか想ったって、何か生産的な結論がでるわけでもない。おなじところをグルグル回るだけである。
 これも何事かの修行である、とは確かに思った。しかし、そう思うのに5秒とはかからない。そのあとは、また何もない時間と対峙しなければならない。修行である、と頭で理解することではなく、何もすることがない無意味な時間の中で自分のくだらなさや人生の有限性が見えてくることに耐えることこそが修行なのだった。
 しかたないから、思いついたことをメモに取って仕事の足しにしようとしたり、天井のボードに梳きこんである藁屑の模様を顔などに見立てて、絵を描いていた。
 入院中、何百という顔を描いた。
 CDを繰り返し聞いた。身体を動かせないときには、ロックよりもジャズよりもクラシックが似合う。一人部屋なので、ヘッドフォンもいらない。忙しく健気なナースたちは「クラシックが流れているなんて、ここの病室だけ優雅な雰囲気。違う時間が流れているみたい」と評した。
 家人にもってきてもらった数枚のCDのうち、結局、いちばん最後まで聞き続けたのは、フジ子ヘミングであった。