退院して金庸を論ず

再び約10日間の入院。手術を一発。
『病院のユリイカ』は本一冊分くらいになりそうだ。

今回の入院では金庸最後の長編『鹿鼎記』全八巻を図書館から借りて来て読んでいた。
金庸の小説では、純情でややとろく、流されがちな主人公が 、ひょんな偶然から秘伝の巻物を読んだり、武術の達人の秘訣を身につけ、みるみる強く成長していく、というのが快感のミソなのだが、 今回の主人公は違う。
すでに6巻目だが、主人公は怠け者で一向に武術は強くなりそうもない。
しかも、娼婦の息子と出自もよろしくない。
このサノバビッチな主人公は、口も性格もかなり悪い。
しかも、博打と美女が好きで、やり口は卑怯で、その場しのぎで嘘をついて人を陥れるのがうまい。
本来敵対する複数の組織に平気で所属してしまう。そして、味方にも平気で嘘をついて辻褄を合わせながら、 舌先三寸と巡り合わせで、どんどん出世してしまう。
出世すると賄賂もガバガバと受け取ってしまう。

と、書くと、倫理観が欠けていて、ほとんど愛せない最低なヤツだが、読んでいるうちにそれなりに愛嬌を感じ、 感情移入してしまう。
イデオロギーにとらわれないから行動のスケールが大きい。清濁併せのむ、という言葉があるが、通常の善悪の判断を超えた生き方になんだか魅力を感じるようになる。
武侠小説の舞台を借りて、政治の世界を描く、というのが、この小説における金庸の意図なのかもしれない。
しかし、単なる武侠小説に留まっていたほうが、快感度は高かったように思う。金庸がこの小説を最後に筆をおいてしまった、というのは、書きたいことを書いて気が澄んでしまったのだろうか。